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庭 園

敷地内見取り図・庭園

名勝(文化財保護法で定められた、国指定の文化財)に指定された依水園は、時代の異なった二種類の池泉回遊式庭園から構成されています。

一つは江戸時代前期の日本庭園として作られ、周りから隔絶された空間である『前園』で、もう一つは、明治期に築かれ、周りの景色まで景観として取り入れた『後園』です。

前園

前園

庭園入口のすぐ右手に広がる庭園が「前園」です。

奈良晒(ならざらし)を扱う御用商人であった清須美道清が、江戸前期、延宝年間(1670年代)に、吉城川(よしきがわ)の傍に、煎茶を愉しむため、別邸として三秀亭を移築し、挺秀軒を建て、三山を望む庭園を作りました。 (奈良晒とは、奈良近在で産出し、武士の裃などに用いられた高級麻織物)

池の中程に鶴亀をなぞらえた中島を築き、池の要所要所に灯籠を配しており、護岸の石組みに江戸時代の庭園の特徴が残されています。お食事もできる三秀亭から望む前園では、静かで水音さえ聞くことのできる「静寂の別世界」を感じられることでしょう。

後園

前園

「後園」は、明治時代に実業家関藤次郎が、茶の湯と詩歌の会を愉しむために作った築山(つきやま)式の池泉回遊式庭園です。(築山とは、土砂を小高く盛り上げて築いた人工の山のこと)

挺秀軒、清秀庵の露地を通り、細い石畳みを抜けると突然視界が開け、広大な空間が現れます。遠くに見える若草山、春日奥山や御蓋山(みかさやま)、隣接する東大寺南大門までをも借景とし、池とそれに映る花木、はるかに広がる空までも取り込んだ贅沢な空間です。

築山の奥には小さな滝があり、小川が緩やかに流れる音までもが風景の一部となっています。池に沿って散策し、氷心亭、寄り付き、依水園碑、水車小屋、沢渡り、柳生堂で立ち止まると、さまざまな景色を演出しようとした、作庭者の計算された意図を感じていただけるでしょう。

庭園内の建造物など

三秀亭(さんしゅうてい)

奈良晒業者、清須美道清が江戸時代前期に別邸として移築した建物です。前園を観ながら昼食や、抹茶を喫することができます。

氷心亭(ひょうしんてい)

茶席・氷心亭(ひょうしんてい)

新薬師寺に使われていた天平古材を天井板などに用いて、明治期に作られた書院造りの茶室です。当時は茶会と共に詩歌の会が催されました。後園を観ながら抹茶をお召し上がり頂けます。今では少なくなった極薄の口吹き硝子越しに観る後園は格別な趣を感じます。

清秀庵(せいしゅうあん)

裏千家にある重要文化財指定の茶室、「又隠(ゆういん)」の写しとして、裏千家十二世又妙斎の指導のもとで作られた茶室です。 茶室を広く見せるために工夫された楊枝柱(ようじばしら)が特徴です。

挺秀軒(ていしゅうけん)

挺秀軒(ていしゅうけん)

江戸延宝年間に清須美道清により建てられた煎茶の茶室を、明治に入って関藤次郎が裏千家茶席の待合にも使えるように縁を取り付けた建物です。円窓が特徴的な茶室です。

柳生堂(やぎゅうどう)

柳生石舟齋、柳生又宗矩で知られる柳生一族の菩提寺、「芳徳寺」で、明治期に取壊しの危機にあったお堂を関藤次郎が買受け、庭園内に移築した建物です。

四季の彩り

1月

 

2月

(上旬)椿

3月

(上旬)アセビ紅梅

(下旬)しだれ桜ミツバツツジ

4月

(上旬)ソメイヨシノ

(中旬)八重桜イロハモミジの新緑

(下旬)霧島ツツジ平戸ツツジ

5月

(上旬)ドウダンツツジ

(中旬)かきつばた黄菖蒲

6月

(上旬)さつき菖蒲スイレン

(中旬)クチナシ

7月

(上旬)輪王蓮[品種名:依水園]

8月

(上旬)サルスベリ

9月

 

10月

11月

ドウダンツツジイロハモミジ十月桜

12月

山茶花敷き松葉

月をクリックすると、過去のその月の花の写真が、花名をクリックすると、過去のその花の写真が表示されます。

依水園フォトギャラリー

美しい依水園の写真、数枚を掲示しています。

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ここにも歴史が

東大寺西塔の心礎

その昔、東大寺には高さ100mを超える東西2つの七重の塔がありました。

東大寺西塔の心礎の一部

焼失した西塔の中心に立つ心柱を支えた礎石、「心礎」の一部と云われる礎石が依水園後園の池の護岸石に残されています。

巨大な七重の塔を支え、焼失後も元の場所より離れた所から1世紀以上も東大寺を見守り続けてきた心礎です。

心礎の残りの部分は、大阪に運ばれたと伝わっています。

飛石ひとつにも

後園の飛石、沢渡りには挽臼石などを用い、周囲に配したサツキや阿亀笹(オカメザサ)などの刈込みの手入れを怠らないようにすることで、明治らしい庭園風情をしっかりと残しています。

茅葺屋根に鮑(アワビ)

依水園の建屋の茅葺屋根には、いくつもの鮑の貝殻が乗せられています。

茅葺屋根の上に置かれた鮑の貝殻

茅葺き屋根の天敵はカラスです。カラスにとって茅は巣造りや遊びにもってこいの材料、そのカラスを防ぐために、カラスが恐れる鷹の目を模して、鏡のように磨かれた鮑の貝殻を屋根に上げています。さらに火事に弱い茅葺屋根のお守りとして、水につながる海のものである鮑、特に伊勢神宮でお供えする神饌の鮑を屋根に上げる風習もあります。古くからの日本人の知恵と信仰心が屋根の鮑なのです。

窓ガラス1枚も当時のままで

昔ながらの極薄ガラス越しに観る日本庭園

依水園には今では貴重な薄い窓ガラスが数多く残っています。溶けたガラスを吹きながら回して均一な厚みにした後に、再び熱して平らに伸ばす「口吹き製法」によるガラスです。

この昔ながらの極薄ガラスは、花火の音でも震える薄さで、ガラス越しに観る日本庭園は揺らいでいるかのように見えます。